10年債: 先物市場における改革

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2017年5月3日 || Debbie Carlson

米中期国債10年物(Tノート)ほど優れた結果を残してきた先物取引は存在しない。

10年物Tノートは1982年5月3日に登場し、取引初日の契約数33,502枚で取引高の最高記録を達成。その記録は未だに更新されていない。CMEグループ運営取引所に上場する銘柄において、ユーロドル、e-mini S&P 500 株価指数先物に続き3番目に売買が盛んな先物商品となった。長期金利取引における重要商品であり、国債、住宅ローン金利、法人債発行の際の参照データとして幅広く用いられる。

CMEグループのファイナンシャルリサーチ担当エグゼクティブディレクターであるフレッド・スタームは10年物Tノートついて、「豊かな環境のもとに生まれた魅力的な商品」であると語る。

陰の存在から表舞台へ
1982年は政府財政混乱の年であった。インフレ抑制そして急増する連邦政府負債への対応策として、当時の米連邦準備理事会議長ポール・ボルカーが金利引上げを決定した3年後のことであった。

当時、シカゴ商品取引所(CBOT)によりTボンド先物がすでに上場しており、CBOTの投資家は10年物Tノートの導入に色めき立っていた。

ウィリアム・D・ファルーンは著書「Market Maker: A Sesquicentennial Look at the Chicago Board of Trade」の中で、この新しい金利先物取引はある種の「改革」であり、ボルカー政策が整うとともに一段と活発化したと指摘する。

ファルーンによれば、「10年物Tノートは、国債ディーラーや中期債を発行する企業債務引受業者にとって大変魅力的」であった。実際、1982年5月5日、10年物Tノートは40億ドルで競売され、中期債が政府の四半期資金運用にとって重要な要素であることを示した。

幸先良い出だしの後、10年債は効果的に流動資産を引きつける反面、20年近くの間、当時長期金利主力商品であった米長期国債(Tボンド)の陰の存在となっていた。そんな中、10年債が影の存在から表舞台に飛び出すチャンス到来となった。

クリントン政権時代の財政黒字により、2001年10月、米財務省は予想外にも30年物長期債の発行停止を発表した。Tボンド供給はやがて底を突くことになる。よってこの発行停止はTボンド取引に大きな影響を与えることになった。

「シカゴ商品取引所での会議に出席した時のことをよく覚えている。エリザベス・キューブラーロスが提唱した「死の受容のプロセス」の5つの段階を目の当たりにするような状況だった。多くの人の「否認」を目の当たりにした」とスタームは冗談めかして語る。

流動資産は10年債取引所へと迅速に移動し、そこに長期間留まることになった。長期債取引所に流動資産を提供してきた地方のトレーダーは、10年債取引所への参加を開始し、その人数は急増していった。

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2000年、10年物Tノート取引高4390万枚に対し、長期債先物取引高は6010万枚であった。10年債取引高は急増し、その1年後には長期債先物とほぼ同じ取引高となっていた。2006年、米国財務省が30年物長期債発行を新たに開始した際には、10年債取引は誰もが認める長期金利取引の王者の地位を獲得していた。

2016年、10年債取引高3億5070万枚に対し、長期債先物取引高(現在「古典的」長期債と呼ばれる)は7020万枚であった。実際、10年債から派生物した「 ウルトラ10年米国債」は2016年に導入され同様の成功を収めている。導入第1週以降には6万枚を突破する取引が行われ、過去10年間の史上最高記録を達成した。

金利の標識灯
10年債先物が金利先物取引における最重要商品であるということは、「いろいろな理由で道理にかなうことになっていた」とスタームは語り、10年満期は世界中の債券投資家の取引をより簡単にするものであり、他の公的債務発行に際して重要なポイントとなることを付け加える。

更に10年債は、満期までに6年から9年を残す30年債券のような老化債権を査定する基準点にもなる。イールドカーブにおけるその部分は、たとえどんなサイズの商品取引にとっても困難であるため、「慢性的な流動性干ばつ」領域として見なされるとスタームは語る。

「我々の10年債先物は、財務省証券利回りカーブにおけるその暗い領域の中での標識灯としての役目という偉大な価値を提供する。つまり、市場参加者は、その標識灯により、普通なら絶対行わないような厄介なことをも実行できる」とスタームは続ける。


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ADMインベスター・サービス社の上級金融経済学者であるアラン・ブッシュは、10年債取引は主に住宅ローン金利の方向性を示す指標と使用されると語る。

「15年住宅ローン金利のベンチマークとなる。平均的(長期)住宅ローンは、10年以内に完済される若しくは借り換えられる。よって、10年債は金利変化を評価するための優れた指標である」と指摘する。

2年債及び10年債先物はイールドカーブ分析における比較対象として大変人気があり、彼自身もそれらをイールドカーブ分析に使用する。

「より長期的な視野には、長期的経済方向性予測に役立つ、2年~10年債によるイールドカーブ分析を勧める」と続けた。

危機を乗り切る
スタームによると、2008年の世界的な金融危機以来、10年債は取引高及び流動性の面で更に向上した。

バーゼルIIIー自己資本比率規制要件やドット・フランク法要件のような規制変更(移動金利スワップから交換へ若しくはスワップ執行ファシリティを含む)により、10年債取引はさらに強化された。

「先物取引は資産に比べて費用効率が高く、貸借対照表への負担がより少ない」とブッシュは指摘する。

1980年初期と同様、2008年の金融危機以来、10年債取引は確実に区別化されてきた。

「人々が必要とした時に導入され、それ以来ずっと多くの面でパワーを増してきた」とスタームは語る。


S&P500先物:グローバルベンチマークの取引開始35周年

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2017年4月28日 || Russell Blinch

「この市場は成功しそうな感じがする」CMEの伝説の金トレーダーのMaury Kravitzは、約35年前に「spoos(S&P500を示すスラング)」と呼ばれるこの新しい特殊なプロダクトの取引を執行した最初のトレーダーとなったときに、そう宣言した。

2012年に死去したKravitzは、1982年4月にシカゴ・マーカンタイル取引所で取引開始された当時に、生みの苦しみを分かち合う以上に、信じられないことだが、このプロダクトについて、とてつもない予言をしていたことが分かった。

とはいえ、S&P先物は、世界で最も流動性の高い先物となり、グローバル株式、そして経済全般の方向性に対する洞察を必要とする投資家の尺度へと発展した。

「資本効率、中央清算、流動性、24時間のアクセス、これらすべてがまとまったとき、リスク管理機能に関して、S&P 500先物が真に強力になると考えている」と、CMEグループのグローバル株式責任者、Tim McCourtは述べている。

「これは現実の市場だ」
だが、1980年代初頭にまでさかのぼると、このプロダクトの成功は、実際には当然の結果とは言い難いものだった。この画期的なアイデアは、ワシントンの規制当局から承認を得られるかどうかさえも、確かではなかった。

1982年は、ソニーが世界初のCDプレイヤーを発売し、ホームコンピューターとして目覚ましい成功を収めたコモドール64がデビューした年である。当時はロナルド・レーガンが大統領で、ポール・ボルカーが議長として連邦準備制度理事会(FRB)で影響力をふるっていた。

「S&P先物が取引開始」は、1982年4月21日付のNew York Times紙の見出しを飾り、その当時、CMEの商品は世界に波及していた。新聞記事らしいその見出しは、投資家向けの画期的な投資ツールが誕生した劇的な出来事をとらえたとはとても思えず、また世界のベンチマークになることを暗示させるものでもなかった。

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しかし、シカゴ・マーカンタイル取引所のトレーダーらは、大きな存在になると感じ取っていたのであろう。その当時、CMEは、肉から通貨まですべて取引ピットで売買されていた。しかし、その後、株式の世界に参入して競争を繰り広げた。

New York Times紙が報じたように、金トレーダーのKravitzは、大型の株式ポートフォリオを保有する顧客のために、この商品を導入したと語った。売り手は、もう一人のフロアトレーダーであるGeorge Segalで、通常は豚バラ肉の取引に従事していた。

その日の業務終了時に、チンギス・カンのファンであるKravitzは、その歴史的な日の取引高は約200枚と試算した。同氏は以下のように明らかに乗り気だった。「私は基本的に金先物トレーダーだが、この市場は成功しそうな感じがした。現代にみられる取引の起源の誕生に、非常に強い印象を受けた。これは現実の市場であり、互いにランドリーを交換すると言っても、取組高が発生しない。」

通貨先物以来の最大の画期的な商品
この商品の特徴の一つは、取引で株券を受渡しするロジスティックな取り組みを排除して、すべてを差額で決済するという考えだ。

「差金決済は、1972年に通貨先物が導入されて以来、最大の画期的な取り組みであり、1980年代に主流になった先物商品、差金決済型の株価指数先物の道を開いた」と、作家ボブ・タマーキンは自身の著書「The Merc」において説明している

大手先物取引所が株価指数に参入するというアイデアはしばらくそのままになり、1957年に500銘柄に拡大したS&Pの取引開始以来、ほぼまる25年間を要して導入された。ただ、市場の規制当局の間では物議をかもした問題で、特に米証券取引委員会(SEC)が怒りを向けていた。

「当局は、株式市場の裏口から入ってきた先物トレーダーを手練手管の農場主やカウボーイとみなし、当局は、自分たちは神が意図した監督権限を持っていると考えていた」とエミリー・ランバート氏は著作「The Futures: The Rise of the Speculator and the Origins of the World’s Biggest Markets」の中で指摘している

規制当局である米商品先物取引委員会(CFTC)とSECは最終的に、徹底的に議論を重ねて、先物の売り手が株券の受渡を行わずに差額で決済するという考えを承諾するなど、先物取引所に対して、株式取引の聖杯を侵害する認可を与えることで合意した。

CMEの申請は、1982年4月20日に承認され、翌日に取引が開始された。「シカゴ・マーカンタイル取引所には、買呼値・売呼値を提示しようとするトレーダーが大勢いた」と、ランバート氏は記載している。

流動性のエコシステムの確立
今では、S&P先物ユニバースは、商品群を含め、進化を遂げている。

「その間に、パッシブ投資は、非主流派から、おそらく現在の投資運用業界における最重要勢力へと発展を遂げた」と、S&P Dow Jones Indicesの指数データサービス担当マネージング・ディレクター、Jamie Farmer氏は指摘する。「S&P500先物の採用の広がりは、比肩するもののない流動性のエコシステムの発展と同時進行している。」

最大のイノベーションの一つは、小規模なプレイヤーを取り込む手段として、1997年に導入されたE-mini S&P である。

そして、その計画はうまくいった。1982年の取引の初年度に売買されたS&P先物の出来高は約290万枚で、翌年には800万枚を超えるなど取引高は2倍以上に膨らんだ。しかし、この商品は、E-miniの上場後、1998年に3,140万枚でピークに達した。

E- miniは上場初年度に88万5,819枚取引され、2年目には450万枚と4倍に増えて、その後はその水準に全く戻っていない。2016年の出来高は、約4億7,270万枚に達した。

シカゴのプロのトレーダーでオンライン上ではFuturesTrader71として知られているMorad Askar氏は、秩序だった性質を備え全体的に透明性が高いという理由で、S&P E-miniのファンである。

「このプロダクトを売買する理由と、人気を博している理由は、流動性が高く、十分な注目を集めており、十分な数の市場参加者が存在しているからで、株価の動きをかなり適切に予想することが可能だ」と、OpenMarketsのインタビューの場でAskar氏はそう説明した。
同氏は、このプロダクトは複雑ではなく、そして株式に関する情報と材料は、ほとんどの人々が簡単に入手できると指摘する。

そして、「理解しやすく、米国債やユーロドルほど複雑ではない。シンプルである。誰もが株式を理解している」と付け加えた。

CMEグループのMcCourtは、取引所が世界中の投資家のために「問題を解消する」ために改良に励んでいることから、S&P500先物の成長は、持続できる余地があると考えている。

「市場参加者は常に、問題を解決し、効率を向上してくれるプロダクトを活用できる」と、同氏は締めくくった。


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