25周年を迎えたグローバル市場に浸透した電子プラットフォーム

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2017年6月28日|| Bruce Blythe

1980年代、シカゴ市民は、次のいくつかのことについて確信していた。Mike Ditkaは神(または神のように少し見えた)、地元のプロ野球チームはワールドシリーズでいつか勝利できる、先物取引は常に、大勢の男たちが立会場で互いにジェスチャーを交えながら大声を張り上げて行われる。

それと同時に、先物ビジネスが向かっている方向について、他と異なる考えを抱いていた人物も少数いた。1986年のある時点で、シカゴ・マーカンタイル取引所において、レオ・メラメドの考えが具体化した瞬間がきたのは、いつも通り熱気に沸いていたS&P 500種株価指数先物のピット近辺に立っていたときであった。

「人で混雑してせわしく、あちこち走り回っている人もいた」とCMEの当時の執行委員会の委員長を務めていたメラメドは、今月に入ってオフィスで行われたインタビューでそう語った。「電子取引を実現するために、一歩踏み出すことをそこで心に決めた」と続けた。

その「一歩」はCME Globexの電子取引プラットフォームで最高潮に達し、今週は取引所が開設されてから25年周目にあたる。今となっては売買を行う際に、その存在が当たり前のようになっているかもしれない。穀物商社が先物価格を固定する、銀行が金利の変化に対処する、あるいは航空会社が燃料費用をヘッジするにせよ、コンピューター上で取引を行う。CMEでは、取引10件のうちほぼ9件は、世界最大の電子取引プラットフォームとなった、CME Globex上で売買されている。

最良の年
一部では抵抗が広がっていたが、メラメドは、他の先見の明のあるCMEの首脳陣の支持を得て、取引所の取締役会から新規プラットフォーム構築の承認を得て、その後、1987年に完全に会員権制に移行した。このアプローチは大変革をもたらし、7,500万ドルを投資したReuters Holdingsと提携して、開発に数年を要した。

CMEのGlobexの1992年6月25日の開設時は軽視されたが、その後シカゴのピット周辺では戸惑いが生じた。新規システム上での取引が許可されたのは「通常」のCMEの取引時間(午前7時20分から午後3時15分、シカゴ時間)外に限定されていたことから、当初は薄商いだった。最初の夜間時間帯の取引はわずか1,939件しかなかった。当時の「グリーンスクリーン」技術は限られていたのだ。

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1992年のCME Globexの開設時のレオ・メラメド(中央)、CMEのジャック・サンダー元会長とビリー・ブロツキー元最高経営責任者(CEO)と共に。

Globexは当初、ユーザーにとって「キーボードは扱いにくく、モデムが付属していた」と、ニューヨークのCOMEX(ニューヨーク商品取引所)とNYMEX(ニューヨーク・マーカンタイル取引所)の立会場の元社員で、現在はTABB Groupのシニアアナリストを務めるTom Lehrkinder氏はそう語った。「ごく一部の人だけがGlobexにアクセスしていた。大体は若手の取引執行スタッフである「オペレーター」だった。ほかは皆、いやがっていた」、同氏は説明した。

マウスやタッチ画面がないコンピュータを利用することを想像してみればいい – これが初期のGlobexの姿であった。

「注文は、キーボードを使って入力された」と、元フロアトレーダーで現在はFutures Radioの週一回のポッドキャストのホストであるAnthony Crudele氏は当時を振り返った。「購入の場合は「+(プラス)」キーを打ち、売却の場合は「-(マイナス)」キーを打たなければならなかった。端末はフロアで共有され、ピットにはGlobexはなかった」と、付け加えた。

世界に羽ばたく
「マーケットのグローバリゼーションが進み…東京、香港、そのほかの場所でも成長を遂げた」と、シカゴの元フロアトレーダーで、現在は出版社のJohn J. Lothian & Co.を経営するJohn Lothian氏は述べた。「ユーロドルは発展過程であったが、30年物の出来高が集中していた。その後、金利のパラダイムシフトが起きた」と同氏は指摘した。

1992年の開設時、Globexはわずか4つの先物商品を提供し、そのうちの3つは、ドイツマルクや日本円に加えて、10年物米国債に連動する商品であった。

Globexには、次の2つが重要な起爆剤となった。べテランのトレーダーは、1997年のGlobexのみで取引可能なS&P 500 E-mini先物の上場、その後の1999年のユーロドル取引への「サイド・バイ・サイド(立会場と電子取引市場の両方で同時に取引)」の導入がそうだったと述べた。

E-miniは、「Globexで実に勢いよくスタートを切った」とLothianは語った。E-minisは、「急速に普及し、E-minisとピットで売買される標準サイズのS&Pとの間で「自然と裁定取引の機会が生じたのだろう」。

このおかげで、取引に必要不可欠な流動性が生じ、E-minisは現在も普及している。2004年にGlobexの1日平均出来高は、初めて立会場取引を上回った。成長は加速して、2017年5月には、CME Globexの電子取引の1日平均出来高が1,470枚に達し、CMEの出来高全体に占める比率が89%となった。

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先物のフィンテック
Globexと先物の電子取引の成長の主要な要素とされる、迅速で効率性の高い取引執行、迅速かつ効率性の高い情報アクセスを推進するテクノロジーは、現在、グローバル金融分野の標準となっている。

それでは、テクノロジーは、今後25年間以降も、業界をけん引していくのか? たとえば、人工知能(AI)は、さらに大きな役割を果たすと想定するか?

「最終的には、速度自体は結果論になるかもしれない」と、Lehrkinder氏は指摘する。「速度は「コモディティ化し…入力が減る。とにかく皆がものすごいスピードに到達するだろう。先物業界の次の進化は、取引の迅速な清算・決済の実現を可能とするビットコインの基礎となる分散型台帳技術、ブロックチェーンを活用したプロセスで展開される可能性がある」と続けた。

「資金動向とその他のプロセスは、簡潔になり、多くのリスクが除去されるだろう。いまだ進行過程にあるが、何につけてもそうだが、変化するときに、急速に変化するだろう」と、Lehrkinder氏は予想する。

「大きな教訓は、その準備段階と変化を受け入れるのときの両方で得られる」と、円先物を10枚購入してGlobexの初の取引の相手方になった先駆者であり取引所のリーダーであるメラメドは断言する。「テクノロジーは進化を続けるであろうし、世界のどこであれ顧客のメリットになるように、先を見越してテクノロジーを活用してきた」と、続けた。「現在のような予測不能な経済・地政学的環境下では、準備する必要があり、その顧客の準備を手助けをする必要がある。取引所が行っていることはまさにこれなのである」


アジアの個人投資家の先物取引が増加基調に

retail futures in asia

2017年6月7日 || Christopher Fix

2016年は、気が小さい人向きの年ではなかった。昨年は一連の衝撃的な出来事が生じ、今年以降もその出来事の多くの余波が続きそうだ。

2017年は重要イベントが昨年よりも少ないことを願っている向きは、引き続き不確実性がマーケットを支配していることが分かっている。ドイツなどの欧州の大国は選挙を控えており、その選挙の結果は欧州連合(EU)に反響するとみられる。また、英国は、正式にEU離脱プロセスを開始することになっており、英国は欧州およびグローバル市場に不確実性をもたらしている。新たに誕生した米国の政権の通商計画がもたらす影響は、今のところ不明である。さらに、それに加えて、中国は経済改革の管理、金融市場の自由化、その他多くの課題対応を継続しているため、アジアでは不確実性が尽きることはないと予想される。

昨年、投資家は、市場と資産クラス全般におけるボラティリティが異常に高い水準に達していることをすぐに認識した。アジアでは、投資機会に乗じようと、またその他の投資に伴うリスクを管理するために、先物取引に参加する個人投資家の数が増加傾向にある。昨年、CMEグループのアジア太平洋の取引全体の1日当たりの平均出来高(ADV)は63万枚と過去最高レベルに達し、前年に比べて15%増加した。

むろん、デリバティブ(金融派生商品)が既に個人投資家のツールキットに不可欠な部分になっている米国の先物市場の取引高をずいぶん下回っている。世界全体では、CMEグループの2016年の年間ADVは1,560万枚と過去最高を更新し、金利、エネルギー、農産物、金属、オプション全体、電子取引オプションが含まれている。ただ、アジアにおける個人投資家の先物に対する人気の高まりは、注目に値する重要なトレンドである。

24時間可能なトレーディング
昨年の流れと同様に、急速に変化する地政学的および経済状況によって、機関投資家にとっても管理すべきリスクが生じ、積極的な個人投資家にとっては1日24時間にわたり資産クラス全体で投資機会が生じた。

現に、CMEグループの市場におけるアジアの個人投資家による取引は、昨年から40%以上増加し、上位3商品は原油先物、E-Mini S&P500先物、金先物である。また、CMEグループのアジア市場の取引時間における世界全体の取引高は、50%増加した。つまり、トレーダーは、24時間、つまり米国の市場の取引時間だけではなく、欧州やアジアの取引時間にも、十分に規制された流動性の高い市場で自らの戦略を遂行できるということを意味するため、これは極めて重要である。こうしたアクセスの重要性は、2016年の取引日について個人投資家による取引高の上位2つである英国のEU離脱の是非をめぐる国民投票や米国の大統領選において、投資家が機会を物色する際に不可欠だった。

中国は、先物への関心が特に強い市場の一つである。その点で、先物は引き続き、投資の選択肢が他の市場よりも限られている投資家にとって魅力的であることが立証されている。株式市場と投資過剰感がみられる不動産市場以外に投資先を分散させたくても、現実には代替策がほんのわずかしかない。人民元の下落圧力は、基本的に海外旅行に行き消費する傾向を強めている中国の中所得者層の購買力を減退させており、それに加えて政府が資本流出の制限を目指し政策を導入したことから、先物取引の魅力が高まっている。

とはいえ、先物の人気の高まりを、他の投資の選択肢が不足しているせいにするのは制約があろう。

先物が本質的に魅力があり、透明性、流動性および分散の高さが、伝統的な債券・株式商品から離れて投資先を分散したい投資家間で盛り上がっている理由を説明している。

先物に押し寄せる
また、個人投資家の先物への投資意欲の盛り上がりは、自己資金の投資とその投資リスクのヘッジのやり方を声高に言う人の間で用いられる実践的アプローチを反映している。テクノロジーが、このトレンドをかなり促進させたのは言うまでもなく、自宅にとどまり、または自分のスマートフォンから便利に資産クラスを売買できる機会を歓迎している人は大勢いる。

だが、その他の要因が作用している可能性もある。多くの投資家にとって、投資信託は依然として選択肢のままであるが、近年、多額の流出が生じている。ヘッジファンドなどのその他の代替投資は一般的に、新規投資額が高額で、6カ月などの長いロックアップ期間(解約できない期間)が課せられる。また、ヘッジファンドは、危機発生時には償還に制限を課すこともある。

他方、先物については多数の資産クラスで取引を行うことができ、投資家は、他の金融商品のような流動性や透明性を諦める必要はない。また、流動性が非常に高いのに加えて、伝統的な債券・株式市場との相関関係がほとんどみられない一部の資産クラスに投資を行える。投資家は、先物を通じて金利、株価指数、外国為替、エネルギー、農産物および金属への投資にアクセスできる。投資家はさらに高度化しているため、保有分の分散化を積極的に目指し、株式や債券と同じ方向に動かない資産クラスを特定している。

昨年に域内でみられた取引高の増加は、先物取引の機会に乗じる投資家が増えただけではなく、流動性が拡大するとこれらの商品の魅力がさらに増すという好循環が生まれた。域内の投資家は、高度化しているため、CMEグループは、そうしたトレンドを投資家教育の取り組みを通じて支えていく方針であり、個人投資家の先物取引が、投資家のみならず市場のメリットになり、アジア域内での注目度がさらに増すことを期待している。


通貨先物:通貨取引がいかに金融を変革したか

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2017年6月2日|| Debbie Carlson

金融先物は、世界の先物取引全体の90%を占めており、通貨先物は、金融先物商品の中で45年前に初めて取引された商品である。

今日の金融界は、1970年代初頭に通貨先物が誕生していなければ、非常に異なった様相を呈していただろう。1972年に上場された通貨先物は、自由市場の考えと動向が根底にある新たな時代を導いた

シカゴ・マーカンタイル取引所の会長として、レオ・メラメドは、取引所の肉の先物や他の農産物商品の範疇を超えて多角化を追求した。

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第二次世界大戦後から20年以上経ち、再び成長を遂げていた世界経済はその背景が変化した。その当時、世界の大国のエコノミストは年一回、一同に会し、ドルに対する自国の為替レートを調整してた。これがブレトンウッズ協定として知られていた体制である。だが、世界経済の成長、国家間の競争の高まり、ニュースや情報配信の加速化により、年一回の閣僚級会議が廃れ始めた。リチャード・ニクソン大統領が米国がドルの金本位制を停止を発表したとき、価値が変化しつつあった。

メラメドは、以下のように述べている。「絶え間ない変化。絶え間ない変化というのは、取引所として私たちがなしていることである。私としては、崩壊したブレトンウッズ体制と変動相場制に移行した現在の新世界との比較に対する答えは、刻々と変わる変化に適応する能力を有する取引所の存在によって得られるだろう」

「通貨は、相互に変動幅が広がり、したがって通貨の価値は、潜在的に不確実性が高まる状態になった。投資家が通貨に対して支払う、また通貨から受け取るレートの価値を調整することが可能な通貨先物の設計は、なんと偉大なイノベーションであろうか」と、CMEグループの通貨部門グローバル責任者のPaul Houstonは語っている。

ADM Investor Servicesの金融エコノミストのAlan Bush氏は、「外国為替レートの変動に注目すれば、国家の経済の健全性について手がかりが得られる」と指摘している。

「外国為替レートは、国の政治と経済の見通しがどうなっているか、そして今後どう向く可能性が高いのかを判断するのに非常に適した尺度である。国家の今後の経済見通しを測るのに適したバロメーターである」と、同氏は説明している。

Houstonsは、「手段が与えられた通貨換算を通じて、国際的な取引と投資が促進されているなか、通貨市場の重要性が明らかになっている。通貨先物は、それ自体で投資目的のヘッジと同様に通貨取引の効率的な仕組みを実現している」と語っている。

新種の先物市場
1970年代初頭、メラメドは、通貨先物商品が生じている変化の解決策になると確信していた。他者を納得させる必要があっただけだった。

「私の考えがほぼ異端と同然に扱われることは認識していた。それまですべての先物は、農産物が原資産であった」と述べている。

その実現に向けて、1971年終盤にシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授に会いに行き、7500ドルで通貨先物の実現可能性に関する論文を執筆を依頼した。メラメドは、この論文を使ってCMEの取締役の過半数を説得し、通貨先物が承認された。また、政府高官とも面談し、フリードマン教授の論文を手に説明した。

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シカゴ・マーカンタイル取引所の立会場にいるレオ・メラメドとミルトン・フリードマン教授

「このアイデアは非常に壮大で、とても素晴らしいと考えていた。政府は、私がしようとしていることを理解する必要があり、もしそうならなければ、私は政府に作る必要のない敵がいたかもしれない」と述べている。

1972年5月16日、CMEは、7通貨の先物 –カナダドル、英ポンド、ドイツマルク、日本円、フランスフラン、メキシコペソ、イタリアリラを上場した。

上場初日、333枚が取引され、その年の取引高は144,336枚に達した。その後、CMEは、米国短期国債先物を上場し、その他の金融商品の上場を目指していた。

一カ所から世界の主要通貨を取引するということも、理にかなっていた。

「広範な参加者がアクセス可能な集中した市場の利点は、中世から認識されていた。だからこそ、「市場」はいまだに多くの都市で中心に位置している」と、Transtrend B.VのマネージングディレクターのHarold de Boer氏は指摘する。

金融商品の魅力をさらに高めるために、国際通貨市場(IMM)が創設された。IMMの会員権は、金融先物商品を売買する保有者のみに認められ、このため取引所と分離されているとの勘違いが生じた。これらの会員権は安価で、金融先物のピットに若いトレーダーがひきつけられた。IMMは機能し、数年後に、金融先物は定着した。

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IMMでの取引初日

では、なぜ金利や株式ではなく、通貨から着手したのか?通貨は、その当時かなり話題になっており、人々の関心の的だったため、通貨を選んだのは理にかなっている。差金決済型商品が承認されたのは、1980年代初頭で、これが、S&P 500 株価指数先物の上場につながった。

45周年を果たし、いまだ記録更新中
今では、CMEグループでは、通貨先物で59種類の通貨先物と30の通貨オプションを扱っている。外国為替市場は、過去45年間で大きく成長し、金融規制改革法(ドッド・フランク法)などの最近の法改正を背景に、為替市場の売買はさらに活発化した。取引所でポジションを保有する参加者は増加基調をたどっていることから、通貨先物の取組高は、過去最高記録を付けている。

通貨取引の直近のトレンドからは、人民元、南アフリカランド、ロシアルーブルなどの新興国通貨の取引への関心の高まりが明らかになっている。Houstonは、「CMEは、今後もさらに多岐にわたる参加者を呼び込むことを重視するだろう。最近のイニシアティブとしては、最小価格変動幅の変更、ブロック取引の規模の引き下げ、月次満期の通貨先物、ボラティリティ建値型通貨オプションなどが挙げられる」と説明した。

「目的は、市場参加者の選択肢を増やすことであるが、事業基盤の成功が中断されることなく今がある」と述べている。

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新技術、同じ基本原理
また、参加者は、より多くの市場へのアクセス手段を見出している。テクノロジーの変化は、電子取引やGlobexのシステムを投入した1990年代に加速に転じた。

「デジタル時代のおかげで、集中市場へこれまでよりも効率的にかつグローバルにアクセスしやすくなった」と、de Boer氏は指摘する。

まさにメラメドが目にしたように、ニュースと情報のフローのスピードが1970年代に早まり、トレーディング技術が向上し、現在はニュース配信が迅速化した。

「政治と経済のニュースは、ほぼ即時に取引所の為替レートと先物価格に反映されている」とBush氏は述べている。「電子取引の出現によって注文執行と報告の届出、あらゆることが今はかなり迅速化された」と同氏は付け加えた。

テクノロジーは絶え間なく変化しているが、為替市場の基本原理は変わっていない。Bush氏は、「先物市場は、依然として企業にとって、為替レートの損失リスクを軽減するための主要なヘッジ手段である」と指摘している。
De Boer氏は以下のように同意する。

「中央清算の利点は、1世紀以上にわたり認識されている。現代のように十分に整備された通貨先物市場は、これらの利点に乗じてそれに資する機会をもたらしてくれる」


10年債: 先物市場における改革

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2017年5月3日 || Debbie Carlson

米中期国債10年物(Tノート)ほど優れた結果を残してきた先物取引は存在しない。

10年物Tノートは1982年5月3日に登場し、取引初日の契約数33,502枚で取引高の最高記録を達成。その記録は未だに更新されていない。CMEグループ運営取引所に上場する銘柄において、ユーロドル、e-mini S&P 500 株価指数先物に続き3番目に売買が盛んな先物商品となった。長期金利取引における重要商品であり、国債、住宅ローン金利、法人債発行の際の参照データとして幅広く用いられる。

CMEグループのファイナンシャルリサーチ担当エグゼクティブディレクターであるフレッド・スタームは10年物Tノートついて、「豊かな環境のもとに生まれた魅力的な商品」であると語る。

陰の存在から表舞台へ
1982年は政府財政混乱の年であった。インフレ抑制そして急増する連邦政府負債への対応策として、当時の米連邦準備理事会議長ポール・ボルカーが金利引上げを決定した3年後のことであった。

当時、シカゴ商品取引所(CBOT)によりTボンド先物がすでに上場しており、CBOTの投資家は10年物Tノートの導入に色めき立っていた。

ウィリアム・D・ファルーンは著書「Market Maker: A Sesquicentennial Look at the Chicago Board of Trade」の中で、この新しい金利先物取引はある種の「改革」であり、ボルカー政策が整うとともに一段と活発化したと指摘する。

ファルーンによれば、「10年物Tノートは、国債ディーラーや中期債を発行する企業債務引受業者にとって大変魅力的」であった。実際、1982年5月5日、10年物Tノートは40億ドルで競売され、中期債が政府の四半期資金運用にとって重要な要素であることを示した。

幸先良い出だしの後、10年債は効果的に流動資産を引きつける反面、20年近くの間、当時長期金利主力商品であった米長期国債(Tボンド)の陰の存在となっていた。そんな中、10年債が影の存在から表舞台に飛び出すチャンス到来となった。

クリントン政権時代の財政黒字により、2001年10月、米財務省は予想外にも30年物長期債の発行停止を発表した。Tボンド供給はやがて底を突くことになる。よってこの発行停止はTボンド取引に大きな影響を与えることになった。

「シカゴ商品取引所での会議に出席した時のことをよく覚えている。エリザベス・キューブラーロスが提唱した「死の受容のプロセス」の5つの段階を目の当たりにするような状況だった。多くの人の「否認」を目の当たりにした」とスタームは冗談めかして語る。

流動資産は10年債取引所へと迅速に移動し、そこに長期間留まることになった。長期債取引所に流動資産を提供してきた地方のトレーダーは、10年債取引所への参加を開始し、その人数は急増していった。

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2000年、10年物Tノート取引高4390万枚に対し、長期債先物取引高は6010万枚であった。10年債取引高は急増し、その1年後には長期債先物とほぼ同じ取引高となっていた。2006年、米国財務省が30年物長期債発行を新たに開始した際には、10年債取引は誰もが認める長期金利取引の王者の地位を獲得していた。

2016年、10年債取引高3億5070万枚に対し、長期債先物取引高(現在「古典的」長期債と呼ばれる)は7020万枚であった。実際、10年債から派生物した「 ウルトラ10年米国債」は2016年に導入され同様の成功を収めている。導入第1週以降には6万枚を突破する取引が行われ、過去10年間の史上最高記録を達成した。

金利の標識灯
10年債先物が金利先物取引における最重要商品であるということは、「いろいろな理由で道理にかなうことになっていた」とスタームは語り、10年満期は世界中の債券投資家の取引をより簡単にするものであり、他の公的債務発行に際して重要なポイントとなることを付け加える。

更に10年債は、満期までに6年から9年を残す30年債券のような老化債権を査定する基準点にもなる。イールドカーブにおけるその部分は、たとえどんなサイズの商品取引にとっても困難であるため、「慢性的な流動性干ばつ」領域として見なされるとスタームは語る。

「我々の10年債先物は、財務省証券利回りカーブにおけるその暗い領域の中での標識灯としての役目という偉大な価値を提供する。つまり、市場参加者は、その標識灯により、普通なら絶対行わないような厄介なことをも実行できる」とスタームは続ける。


CMEグループで開発されている商品について続きを読む。


ADMインベスター・サービス社の上級金融経済学者であるアラン・ブッシュは、10年債取引は主に住宅ローン金利の方向性を示す指標と使用されると語る。

「15年住宅ローン金利のベンチマークとなる。平均的(長期)住宅ローンは、10年以内に完済される若しくは借り換えられる。よって、10年債は金利変化を評価するための優れた指標である」と指摘する。

2年債及び10年債先物はイールドカーブ分析における比較対象として大変人気があり、彼自身もそれらをイールドカーブ分析に使用する。

「より長期的な視野には、長期的経済方向性予測に役立つ、2年~10年債によるイールドカーブ分析を勧める」と続けた。

危機を乗り切る
スタームによると、2008年の世界的な金融危機以来、10年債は取引高及び流動性の面で更に向上した。

バーゼルIIIー自己資本比率規制要件やドット・フランク法要件のような規制変更(移動金利スワップから交換へ若しくはスワップ執行ファシリティを含む)により、10年債取引はさらに強化された。

「先物取引は資産に比べて費用効率が高く、貸借対照表への負担がより少ない」とブッシュは指摘する。

1980年初期と同様、2008年の金融危機以来、10年債取引は確実に区別化されてきた。

「人々が必要とした時に導入され、それ以来ずっと多くの面でパワーを増してきた」とスタームは語る。


S&P500先物:グローバルベンチマークの取引開始35周年

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2017年4月28日 || Russell Blinch

「この市場は成功しそうな感じがする」CMEの伝説の金トレーダーのMaury Kravitzは、約35年前に「spoos(S&P500を示すスラング)」と呼ばれるこの新しい特殊なプロダクトの取引を執行した最初のトレーダーとなったときに、そう宣言した。

2012年に死去したKravitzは、1982年4月にシカゴ・マーカンタイル取引所で取引開始された当時に、生みの苦しみを分かち合う以上に、信じられないことだが、このプロダクトについて、とてつもない予言をしていたことが分かった。

とはいえ、S&P先物は、世界で最も流動性の高い先物となり、グローバル株式、そして経済全般の方向性に対する洞察を必要とする投資家の尺度へと発展した。

「資本効率、中央清算、流動性、24時間のアクセス、これらすべてがまとまったとき、リスク管理機能に関して、S&P 500先物が真に強力になると考えている」と、CMEグループのグローバル株式責任者、Tim McCourtは述べている。

「これは現実の市場だ」
だが、1980年代初頭にまでさかのぼると、このプロダクトの成功は、実際には当然の結果とは言い難いものだった。この画期的なアイデアは、ワシントンの規制当局から承認を得られるかどうかさえも、確かではなかった。

1982年は、ソニーが世界初のCDプレイヤーを発売し、ホームコンピューターとして目覚ましい成功を収めたコモドール64がデビューした年である。当時はロナルド・レーガンが大統領で、ポール・ボルカーが議長として連邦準備制度理事会(FRB)で影響力をふるっていた。

「S&P先物が取引開始」は、1982年4月21日付のNew York Times紙の見出しを飾り、その当時、CMEの商品は世界に波及していた。新聞記事らしいその見出しは、投資家向けの画期的な投資ツールが誕生した劇的な出来事をとらえたとはとても思えず、また世界のベンチマークになることを暗示させるものでもなかった。

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しかし、シカゴ・マーカンタイル取引所のトレーダーらは、大きな存在になると感じ取っていたのであろう。その当時、CMEは、肉から通貨まですべて取引ピットで売買されていた。しかし、その後、株式の世界に参入して競争を繰り広げた。

New York Times紙が報じたように、金トレーダーのKravitzは、大型の株式ポートフォリオを保有する顧客のために、この商品を導入したと語った。売り手は、もう一人のフロアトレーダーであるGeorge Segalで、通常は豚バラ肉の取引に従事していた。

その日の業務終了時に、チンギス・カンのファンであるKravitzは、その歴史的な日の取引高は約200枚と試算した。同氏は以下のように明らかに乗り気だった。「私は基本的に金先物トレーダーだが、この市場は成功しそうな感じがした。現代にみられる取引の起源の誕生に、非常に強い印象を受けた。これは現実の市場であり、互いにランドリーを交換すると言っても、取組高が発生しない。」

通貨先物以来の最大の画期的な商品
この商品の特徴の一つは、取引で株券を受渡しするロジスティックな取り組みを排除して、すべてを差額で決済するという考えだ。

「差金決済は、1972年に通貨先物が導入されて以来、最大の画期的な取り組みであり、1980年代に主流になった先物商品、差金決済型の株価指数先物の道を開いた」と、作家ボブ・タマーキンは自身の著書「The Merc」において説明している

大手先物取引所が株価指数に参入するというアイデアはしばらくそのままになり、1957年に500銘柄に拡大したS&Pの取引開始以来、ほぼまる25年間を要して導入された。ただ、市場の規制当局の間では物議をかもした問題で、特に米証券取引委員会(SEC)が怒りを向けていた。

「当局は、株式市場の裏口から入ってきた先物トレーダーを手練手管の農場主やカウボーイとみなし、当局は、自分たちは神が意図した監督権限を持っていると考えていた」とエミリー・ランバート氏は著作「The Futures: The Rise of the Speculator and the Origins of the World’s Biggest Markets」の中で指摘している

規制当局である米商品先物取引委員会(CFTC)とSECは最終的に、徹底的に議論を重ねて、先物の売り手が株券の受渡を行わずに差額で決済するという考えを承諾するなど、先物取引所に対して、株式取引の聖杯を侵害する認可を与えることで合意した。

CMEの申請は、1982年4月20日に承認され、翌日に取引が開始された。「シカゴ・マーカンタイル取引所には、買呼値・売呼値を提示しようとするトレーダーが大勢いた」と、ランバート氏は記載している。

流動性のエコシステムの確立
今では、S&P先物ユニバースは、商品群を含め、進化を遂げている。

「その間に、パッシブ投資は、非主流派から、おそらく現在の投資運用業界における最重要勢力へと発展を遂げた」と、S&P Dow Jones Indicesの指数データサービス担当マネージング・ディレクター、Jamie Farmer氏は指摘する。「S&P500先物の採用の広がりは、比肩するもののない流動性のエコシステムの発展と同時進行している。」

最大のイノベーションの一つは、小規模なプレイヤーを取り込む手段として、1997年に導入されたE-mini S&P である。

そして、その計画はうまくいった。1982年の取引の初年度に売買されたS&P先物の出来高は約290万枚で、翌年には800万枚を超えるなど取引高は2倍以上に膨らんだ。しかし、この商品は、E-miniの上場後、1998年に3,140万枚でピークに達した。

E- miniは上場初年度に88万5,819枚取引され、2年目には450万枚と4倍に増えて、その後はその水準に全く戻っていない。2016年の出来高は、約4億7,270万枚に達した。

シカゴのプロのトレーダーでオンライン上ではFuturesTrader71として知られているMorad Askar氏は、秩序だった性質を備え全体的に透明性が高いという理由で、S&P E-miniのファンである。

「このプロダクトを売買する理由と、人気を博している理由は、流動性が高く、十分な注目を集めており、十分な数の市場参加者が存在しているからで、株価の動きをかなり適切に予想することが可能だ」と、OpenMarketsのインタビューの場でAskar氏はそう説明した。
同氏は、このプロダクトは複雑ではなく、そして株式に関する情報と材料は、ほとんどの人々が簡単に入手できると指摘する。

そして、「理解しやすく、米国債やユーロドルほど複雑ではない。シンプルである。誰もが株式を理解している」と付け加えた。

CMEグループのMcCourtは、取引所が世界中の投資家のために「問題を解消する」ために改良に励んでいることから、S&P500先物の成長は、持続できる余地があると考えている。

「市場参加者は常に、問題を解決し、効率を向上してくれるプロダクトを活用できる」と、同氏は締めくくった。


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